別名 |
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芙蓉城 |
築城年代 |
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元弘2年(1331) |
縄張・種別 |
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---/山城 |
築城者 |
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越智邦澄 |
遺構 |
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曲輪跡・掘・石塁・土塁etc... |
復原 |
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国指定 |
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攻城年月日 |
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2006/7/吉日 |
【構 え】
奈良盆地と吉野地域の間にそびえる標高584Mの高取山頂上に築かれた山城。
世の中が落ち着き機能的で城下町経営にも適した平城が一般的になっても、植村氏は数年を山城で過ごしたという。やがて北西の麓に下屋敷が建てられたが山城を捨て去りはしなかった。なんと幕府に普請の願いを届けてたびたび補修がなされ、江戸期を経て幕末まで機能し続けた。
【歴 史】
元弘2年(1331)越智邦澄が築城。一説によると越智氏は清和源氏宇野氏の流れをくむともいわれるが、真意は定かではない。永正15年(1504)越智氏は越智党の子嶋氏が守るこの城を攻め取り本城とした。(戦国時代に二流に分かれ争ったようだ)
天正11年(1583)越智氏滅亡。大和郡山城の詰めの城として筒井順慶の家臣松蔵氏が入城。天正13年筒井氏が伊賀上野に移封されると、豊臣秀長の家臣本多正俊が入り、大改修を行なった。また秀長亡き後は城主となる。寛永14年(1637)本多正武の代に跡継ぎがなく改易。
同17年徳川譜代の植村家政が新たに大名に取り立てられ入城。以後、14代230年在城。
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