| 別名 |
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築城年代 |
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大永4年(1524) |
| 縄張・種別 |
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連郭式/山城 |
築城者 |
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浅井亮政 |
| 遺構 |
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曲輪跡・石塁・土塁etc... |
| 復原 |
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| 国指定 |
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史跡 |
| 攻城年月日 |
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2006/6/4 |
【構 え】
小谷城は高くて険しい伊吹山系を背後に控える小谷山上にある。天然の険は防御に適しており、山麓には越前(福井県)と美濃(岐阜県)をつなぐ街道が通り、さらに南には中仙道、西には北国街道が走る。まさにこの地は交通の要であった。
小谷山の尾根に主郭を置き、本丸・中の丸・京極丸・小丸・山王丸とうの曲輪が連なり、最高峰の大嶽(oozuku)=495Mには砦が築かれた。清水谷に城主の館と家臣の屋敷が置かれていた。
【歴 史】
大永4年(1524)浅井亮政(長政の祖父)が築城。南近江守護の六角氏に度々攻め込まれ、ときには庇護者の越前朝倉氏を頼っていた。伊吹山中には越前への間道が張りめぐらされていたという。
亮政のあと二男の久政が家督を継いだ。そして永禄3年(1560)には長政に譲られた。織田信長と同盟を結ぶに及び信長の妹の市を嫁に迎えたが、元亀元年(1570)永年にわたり恩義を受けてきた朝倉氏を信長が攻撃したので、この後は信長と対立。
小谷城は3年間織田軍の攻撃にたえた、周囲の砦が次々落ち、天正元年(1573)には朝倉氏も織田軍の猛攻にあい、義景が自刃。ここに滅亡した。同8月、本丸と東の郭をつなぐ京極丸が敵の手に落ち、東の一郭で久政、本丸で長政が果てた。
戦功で羽柴秀吉が新領主となったが、小谷城の資材を使い平地に長浜城を築き居城とした。
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