別名 |
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白鳳城 |
築城年代 |
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天正13年(1585) |
縄張・種別 |
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梯郭式/平山城 |
築城者 |
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滝川雄利・筒井定次 |
遺構 |
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天守台・曲輪跡・石垣・堀 |
復原 |
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模擬=天守・小天守 |
国指定 |
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史跡 |
攻城年月日 |
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2011/吉日 |
【歴 史】
織田信雄による伊賀平定後、家臣の滝川雄利が築城を開始。天正13年(1585)大和郡山から移った筒井定次が三層の天守を構えた。関ヶ原合戦後領土を没収される。慶長13年(1608)伊賀伊勢の領主として伊予から移封された藤堂高虎が筒井故城を大修築。濠を深くして日本一の高石垣で囲み梯格式の堅固な城郭とし、五層の天守閣を築いた。ところが竣工直前の慶長17年(1612)に暴風雨のため倒壊。大坂夏の陣で豊臣方の滅亡と武家諸法度による城建築の禁止により再び建てられることはなかった。藤堂氏の支城として城代を置く。
現在の天守閣は昭和10年(1935)川崎克氏(伊賀市出身の政治家)が私財を投じて高虎の築いた基台に桃山建築の粋をあつめて再建したもの。わが国最後の木造天守閣である。
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