彦根城 hikone-castle |
滋賀県彦根市金亀町 |
|
|
|
|
|
|
天守/表門橋/西の丸3重櫓と続櫓(左列)
天秤櫓と廊下橋/太鼓門と続櫓
/二の丸佐和口多聞櫓(右列) |
|
|
|
|
|
|
天守
3重3階、櫓に望楼をあげた古い形式で、もともと5層だった大津城の天守を移築したものではないかといわれる。
天秤櫓と廊下橋
名の由来は門を中心に両端に同型の2重2階の櫓を設け、天秤に見える姿から呼ばれる。廊下橋はかつて屋根と腰壁がついていた。
太鼓門
本丸への入口にあたる櫓門で、太鼓を置いて時を知らせていた。
築城以前に彦根山にあった彦根寺の楼門と伝えられていたが、佐和山城から移されたと推定されるようになった。
西の丸3重櫓と続櫓
井伊直孝(初代藩主・直政の二男)の時代には存在していたといい、小谷城天守を移築したとも伝えられる。
|
|
別名 |
|
金亀(きんき)城 |
築城年代 |
|
慶長9年(1604) |
縄張・種別 |
|
---/平山城 |
築城者 |
|
井伊直継 |
遺構 |
|
天守・櫓・馬屋・庭園・石垣・堀 |
復原 |
|
表御殿 |
国指定 |
|
特史 国宝=天守・天守付櫓および続櫓 重文=天秤櫓
etc |
攻城年月日 |
|
2004/7/17 |
【歴 史】
慶長9年(1604)当時、磯山といわれていたこの地に、徳川家康の重臣井伊直政の嫡男直継が築城した。
幕府が大いに力を入れ、伊賀、伊勢、尾張、美濃、飛騨、越前の7ヶ国の大名に工事の助役を申しつけた。
縄張りは山本勘助の流れをくむ甲州流の軍学者、早川弥惣右衛門幸豊が担当した。
慶長11年(1606)中心部、天守閣が完成。
元和8年(1622)途中大坂の役をはさんだものの20年を要して全完成。
幕末には大物大老井伊直弼を送り出した。
|
|
photo:荒賀源外さん |
|