別名 |
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妻高山城 |
築城年代 |
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建永元年(1206) |
縄張・種別 |
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連郭式/山城 |
築城者 |
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小早川茂平 |
遺構 |
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曲輪跡・石垣・土塁 |
復原 |
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国指定 |
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攻城年月日 |
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2003/12/8 |
【構 え】
沼田川をはさんだ位置(向かい合っている)の東側に高山城、西に新高山城がある。
麓を流れる沼田川が天然の濠となり、水の便がよく、展望もきき、急峻な岸壁が堅固な城郭を形成する。
【歴 史】
建永元年(1206)小早川茂平(源頼朝に仕えた土肥実平の子孫)が東国より沼田荘地頭に任ぜられ城を築いたのがはじまり。
応仁元年(1467)から11年間京都を中心に続いた応仁の乱では、嫡流・小早川氏が東軍に、木村城を居城とする分家の竹原小早川氏が西軍に組したため、しばしば分家に攻め込まれた。
その後、5代・雅平が支城として対岸の山に城(新高山城の前身)を建設。
天文19年(1550)嫡流・小早川氏の当主・繁平が病弱だったため、竹原小早川氏から妹婿として隆景が17代として迎えられ、本家と分家はひとつになり、翌年には木村城から高山城へ移ってきたが、隆景は中世の縄張りである高山城を廃し、戦国時代に相応しい城をと支城を大改修し新高山城を築いた。
【攻城記】
沼田小早川の居城跡で登ってみると想像以上に広い城跡でした。登山道が険しいので手軽に登れる山ではありませんが、登ってみればその山頂は学校の遠足にも使えるぐらい広いものでした。
郭の配置もなかなか立体的で秘密基地ごっこなんかしたら実に面白そうな郭群です。
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