因島水軍城
innoshima-suigun-castle
広島県因島市中庄町 3228-2

能島城参照


正面・「丸に上」は村上水軍の紋/本丸御殿?/二の丸は展示室(左列)
城郭の遠景/隅櫓(右列)


攻城年月日
2004/11/5


【歴   史】
-水軍について-
主に、熊野・紀州・瀬戸内の「海賊衆」と呼ばれる集団が戦国時代の”水軍”で、土豪的な武士集団の彼らは漁民たちとも交わりがあり、船頭や水手(かこ)として支配していた。
戦国大名は軍事力を高めるため、この海賊衆を水軍として雇用し一翼を担わせていたのだ。
織田信長−九鬼水軍・毛利氏−村上水軍が有名、朝鮮出兵の段階では加藤嘉明・藤堂高虎・長宗我部元親とう水軍大名が出現する。
戦国時代、水軍の主な任務は補給・兵員輸送・海上封鎖とうで、海戦と呼ばれるものは少ないという。
天正6年(1578)「木津川沖海戦」は有名で、石山本願寺に物資を輸送する100隻ともいわれる毛利軍(村上水軍)に対して、織田信長軍は九鬼水軍の鉄甲船6隻をもって大砲を撃ち、毛利方の船を沈めた。
また、海上補給と海上封鎖での水軍の活躍は「小田原攻め」で、豊臣秀吉は奉行の長束正家に命じて、駿河の清水港に20万石の米を集結させた。
同じく、海上封鎖作戦では数千隻の軍船が(徳川・加藤・長宗我部・脇坂・九鬼とう)小田原沖を埋め尽くしたという。たまったものではありませぬな。(^_^;)
古くは源平時代の壇ノ浦合戦が代表的な海戦だ。
昭和58年に築城された模擬天守は水軍資料館。

【攻城記】
水軍城は海側から山に隠れて見えない位置にあり、見張り台としての機能は無く、守りにくい山の中腹にある事から、本来ココには城とか無かったのでしょうね。

photoばつまるさん


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