能島城 nojima-castle |
愛媛県越智郡宮窪町能島 |
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能島全景/村上水軍城郭配置図(左列)
村上景親具足・景親は武吉の二男で関ヶ原合戦後、毛利家に従え御船手組頭役になった。(右)
※因島水軍城参照 |
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能島
宮窪町の沖合(大島と鵜島の間)≒1kmの位置にある周囲720mの島である。
能島水軍村上氏の居城があった。
隣にある周囲240mの小島「鯛崎島」との間には桟橋跡もみられる。
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別名 |
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築城年代 |
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応永26年(1419) |
縄張・種別 |
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築城者 |
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村上雅房 |
遺構 |
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復原 |
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柱穴 |
国指定 |
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攻城年月日 |
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2004/11/5 |
【歴 史】
応永26年(1419)村上氏が能島・来島・因島と3つの家に分かれ、能島には村上雅房が築城した。
弘治元年(1555)、能島村上氏は武吉の時代に厳島合戦(毛利元就
Vs 陶晴賢)があり、毛利軍の勝利に大貢献しその名が世に知れ渡ることとなり、「海賊大将軍」と呼ばれた。
天正13年(1585)豊臣秀吉の四国攻めには従わず、小早川隆景の攻撃を受け、武吉も自軍を指揮して懸命に反撃したが、隆景が風の強い日に何百隻という小舟に麦わらを満載し火をつけて潮に流したので全島猛火に包まれ落城したという。
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photoばつまるさん |
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