別名 |
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古宇土城 |
築城年代 |
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縄張・種別 |
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築城者 |
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名和氏(宇土氏)? |
遺構 |
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曲輪跡・石垣・空堀・土塁 etc... |
復原 |
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国指定 |
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攻城年月日 |
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2005/5/25 |
【歴 史】
鎌倉時代末から戦国時代にかけて、この辺り一帯は宇土氏の領土であった。文亀3年(1503)宇土氏が一族の菊池氏に滅ぼされた。翌年には八代を本拠地としていた名和氏が水俣城の相良氏に攻められたが、菊池氏の急死により名和氏が西岡台と呼ばれるこの地を本拠とした。
豊臣秀吉の九州出兵の際、当時の城主顕興は領土を安堵されたが、天正16年(1588)筑前へ国替えとなった。
【攻城記】
さて徹底的に破壊された宇土城に対し規模は小さく、宇土城同様に公園化されてるものの、城跡の雰囲気は宇土古城の方が高いですね。
千畳敷と呼ばれる本丸を囲んだ空堀跡(モルタル塗)や地形を利用した虎口。この虎口、先日壱岐で見た樋詰城の虎口に規模や構えがそっくりです。空堀も掘削中に放棄された箇所があり、城造りの過程が伺え面白いです。当時は手堀りだった空堀も今の時代は機械を使ってこんなに簡単に♪ |
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ただちょっと不思議だったのは本丸と三城を結ぶ鞍部。ここは左右の地形なだらかで攻め入られ易い形状なのに何故か堀切等の阻塁跡がうかがえない・・・不思議だ |
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