別名 |
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丹生島(にうじま)城 |
築城年代 |
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永禄4年(1561) |
縄張・種別 |
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---/平山城 |
築城者 |
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大友宗麟 |
遺構 |
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天守台・櫓2・石垣・堀 |
復原 |
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復元=櫓門 |
国指定 |
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攻城年月日 |
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2001/6/16 |
【構 え】
当時は臼杵湾に浮かぶ臼杵七島のひとつ丹生島にあり、東西485m・南北170m・周囲16kmの細長い島断崖絶壁の孤島が天然の要害を形づくっていた。
【歴 史】
永禄4年(1561)毛利軍に追われる大友宗麟が追撃に備えるために築城。
当主は大友義統(よしむね)で、父の宗麟が居城としていた。
本格的な城郭と町づくりに力を注ぎ、熱心なキリスト教徒であった宗麟の理想境を実現し、イエズス会士修練のためのノビシャドや司祭館、秘蔵の茶つぼを豊臣秀吉に売って建設したという大聖堂も備え、港にはポルトガル船や中国明の船とうの発着が絶えず、異国情緒溢れる町であったという。
天正14年(1586)九州制覇を目指す島津氏が進攻してくると、「国崩し」と名づけられた大砲2門で撃退。
島津軍は臼杵城を落とすことができず、翌年の秀吉による九州征伐で豊後より撤退した。
文禄2年(1593)に朝鮮の役での失敗で大友氏は領地を没収されて、福原直高が入城。
慶長元年(1596)には太田一吉が城主となるが、関ヶ原合戦で西軍に味方したので追放された。
慶長5年、美濃国郡上八幡城より稲葉貞通が5万石で入城、15代260年間居城した。
貞通が入城したころには3層4階の天守櫓を含め、31の櫓があったという。
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