別名 |
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舞鶴城 |
築城年代 |
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建武年間(1334〜35) |
縄張・種別 |
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---/山城 |
築城者 |
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名和顕興 |
遺構 |
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曲輪跡 etc |
復原 |
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国指定 |
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攻城年月日 |
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2004/4/11 |
【歴 史】
建武年間(1334〜35)土地の豪族・名和顕興によって築城された。
名和氏は元々八代を拠点に勢力を伸ばしてきたが、顕興が藤原南家の流れをくむ名門・人吉城の相良氏と対立して領地の半分を失う。
のちに相良氏が衰退すると領地を回復することができたものの、義父の宇土為光が菊地氏と争い力を削がれると、顕興は独立して宇土城主となり「宇土」姓に改めた。
津奈木城は名和氏のあと津奈木氏の居城となり、相良氏に対抗しつづけ、享禄3年(1530)に落城。
相良氏の支配となり、その後加藤清正の支配下になると城代が置かれた。
【攻城記】
別名舞鶴城と山城の割に優雅な名前の由来は、攻めてきた敵が崖から突き落とされ、鶴の様に舞う事になるからだと。<ブラック
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