高鍋城 takanabe-castle 宮崎県児湯郡高鍋町南高鍋

外堀跡/本丸跡/御朱印蔵跡(左列)
岩板門跡/三層櫓台跡の石垣(右列)


別名 舞鶴城・財部(takarabe)城 築城年代 斉衡年間(854-57)
縄張・種別 ---/平山城 築城者 柏木左衛門尉
遺構 本丸跡・石垣・堀・土塁etc...
復原 ---
国指定 ---
攻城年月日 2009/吉日


【歴   史】
平安時代に柏木左衛門尉が築城したという。当時は財部城と称す。平安時代末期から戦国時代前期に勢力のあった土持氏の居城であったが、長禄元年(1457)、伊東氏に敗れてのち、伊東氏の支城となる。天正6年(1578)には島津氏の持城となる。同15年、秋月種実が入封したが、当初は櫛間城を本拠とした。慶長9年(1604)子の種長が櫛間より移り、延宝4年(1676)から3年がかりで近世平山城に大改修を行い、名を「高鍋城」とあらためた。その後、秋月氏が10代266年在城。

※出羽米沢藩(米沢城)9代藩主の上杉治憲(鷹山)は、日向高鍋藩6代藩主・秋月種実の次男である。

photo:ばつまるさん


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