城井城 kii-castle 福岡県築上郡築城町寒田

城井郷城口の碑/裏門(左列) 城門跡/三丁弓の岩(右列)


攻城年月日
2012/吉日


【歴   史】
建久7年(1196)に地頭職を与えられ、下野(栃木県)から下向した宇都宮信房の子孫である鎮房が、戦国時代に築城したという。


※ばつまるさんの説明
毛利氏預かりになってた城井鎮房が籠り、黒田長政を撃退した城。城井氏が他の城に入らずこの城に入った為、永らく城井氏の本城と思われていた城井城ですが、居館から離れている事と、山深い不便な場所にあるのと、城としての縄張りが覗えない事から、最近は武人が造った戦城と言うより戦時に村人が逃げ込む郷城と見られている様です。
そんな郷城に城井氏が入ったのは、おそらく鎮房は城井郷城の堅さを知っていたのに対し、入封したばかりの黒田氏は郷城ゆえ甘く見ていたか、その存在自体知らなかったんじゃないかと。
城は水手であり堀でもある谷沿いに存在し、道を塞ぐ巨大な岩を天然の表門としていますが、その人が屈んで通る城門は中で登りになっており、門内の様子は外から窺い知る事が出来ず、立体的な枡形虎口と言う感じです。
また、表門を抜けてもその直ぐ先には門柱の様な、これまた大きな岩が道の両側を塞ぐ形で立っており、その岩を楯にすれば表門を出てきた敵を楽に射貫く事が出来そうです。その表門の防御群を抜ければ曲輪とされる比較的広い場所に出ますが、ここには阻塁の様なものはなにもなく城の防御は門に頼ってる感じです。 まぁ、あれだけ堅固な門を持ってりゃ、その必要性も感じなくなるのかも知れません。
仮に表門を抜かれたとしてもこの城井城、裏門があります。裏門は曲輪から更に上へ200mほど登った尾根付近にあり、裏門付近は30°は超えるかという急勾配で更に門直下は石の鎖場。足場が狭くて立って登る事は叶わず手が塞がれた無防備な状態に陥り、上から石や丸太を落とされた日にゃ無抵抗のいい的にされちゃいます。

photo:ばつまるさん


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