別名 |
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亀尾城 |
築城年代 |
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永仁2年(1293) |
縄張・種別 |
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---/山城 |
築城者 |
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波多宗無 |
遺構 |
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石垣・土塁 |
復原 |
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国指定 |
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攻城年月日 |
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2005/5/5 |
【歴 史】
永仁2年(1293)肥前国上松浦(唐津)の岸岳城主・波多宗無により築城された。
元寇後壱岐が落ち着くと波多氏をはじめ、石志氏・志佐氏・山代氏とう松浦党の諸氏が渡り壱岐を支配した。文明4年(1472)、当時の岸岳城主・波多泰が突然攻め込んできたので、そのころ支配していた志佐・佐志・呼子・鴨打・塩津留の松浦党五氏は必死に防戦したが敗北し軍門に下った。壱岐守護と称した波多氏は亀丘城を改修後一族の者を城代にすえ本島を統治した。
永禄7年(1564)波多氏に世継ぎ問題による内紛が勃発し、これが家臣・日高甲斐守の謀反に発展。亀丘城に拠り壱岐を押領するが、元亀2年(1571)甲斐守が平戸松浦氏に従属すると壱岐は平戸藩領(平戸松浦氏の所領)となった。
元和1年(1615)一国一城令により破却されたようだ。
【攻城記】
5月5日に佐賀の呼子からフェリーに乗って長崎の壱岐へ行って参りました。長崎と言っても単に行政区分が長崎と言うだけで呼子から船で一時間程度、福岡からでも2時間逆に長崎からは遠く、流通と経済的には福岡や唐津と繋がりの深い島です。
まずは印通寺港から郷ノ浦へ移動し亀丘城。亀丘城本丸跡は公園化、土塁は削られ岩塁化してます。公園入口には元寇に襲われた島らしく日蓮上人像、公衆トイレの裏(!)と言う目立たぬ場所に石垣跡。
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