■攻城年月日
2005/5/5
【歴 史】
文永の役で激戦地となった城。
文永14年(1274)10月14日、対馬では守護代・宗助国が80騎で応戦するも、これを陥落させた元軍は、あくる日の15日壱岐の樋詰城を囲んだ。壱岐では守護代・平景隆が100余騎を率いて奮戦したが大軍相手に戦死。城は落城した。
【攻城記】
樋詰城は偶然見付けた新城神社の名前に惹かれて寄ってみたところ、入り口の作りや大門跡らしき石垣に城跡の臭いを感じ、帰宅後ネットで調べて樋詰城と言う名の小城跡に造られた神社のようです。
しかしこのお城、小さいなれど作りは特徴的。なにしろ城の入り口は竪堀の様な深い堀、
その奥に石で堅牢に積み上げられた城門跡、
これを竪堀に見立てても高低差僅か3m
長さも10mに満たない、こんな構えは初めてです。城跡の側面も大した備えは無くこの備えは
防御と言うよりも装飾的なものなんでしょうか?
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