■攻城年月日
2012/吉日
【歴 史】※案内板より
豊前古城記一本に云く「城跡一ヶ所広末村、水原村、堺広幡山、右の者、宮原中将と云う者切り開き此の其の後(宇都宮)城井民部鎮房が出城に取立、瓜田春永と云う者城内に籠めおきたりと云」...とあり、この城は宮原中将と云う人物が築いたものであり、いずこの人物か年代ともに不明である。
その後、城井民部鎮房が出城として使用し、瓜田春永が在城したものである。
城とは大小の領地を有する豪族、土豪者が敵を防ぐために周囲に堀を廻らし、土居、石垣を築く等の防備を施した所で、中古は音の如くジョウと呼んでいたようである。
後にはシロと云いジョウと併び用いられていた。
現地を訪ねて分かるように山の出鼻天然の要害を利用して周囲の土をかさ上げて堀を廻らした数少ないかさ上げ壕の城跡である。
城井城
を参照してください。
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