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大巧寺  本覚寺   妙本寺  教恩寺   常栄寺(ぼたもち寺)

大巧寺 [daigyo-ji]
もとは十二所にあった源頼朝の祈願所であった大行寺。頼朝が戦の戦略を練ったところ大勝利だったため、元応2年(1320)「巧」の字に改め大巧寺とした。
五世住職の日棟上人が産女霊神を祀ったので安産祈願の参拝者が多い。
鎌倉市小町1-9-28【2005/7/5】

本覚寺 [hongaku-ji]
妙厳山本覚寺と号し、往古夷堂の跡地に建てられた。
日蓮上人はこの夷堂に留場し、ここから身延山に向かったといわれる。
写真右は夷神を祀る「夷堂」。
鎌倉市小町 1-12-12【2005/5/5】

妙本寺 [myohon-ji]
山号を長興寺といい日蓮宗の寺で、開基は比企能員の子・能本で、亡ぼされた一族を弔い、また自らが帰依する日蓮のために文応元年(1260)に創建した。この辺りは比企ヶ谷といい、鎌倉時代には比企一族が住んでいた。
全国の日蓮宗寺院の中では最古。
鎌倉市大町1-15-1【2005/5/5】

教恩寺 [kyoon-ji]
ご本尊は運慶作の阿弥陀如来像。もとはこの地に善昌寺というお寺があったが廃寺となっていた。そこで延宝6年(1678)に光明寺にあった教恩寺を移築したのだという。知阿上人が開山、北条氏康が開基。
鎌倉市大町1-4-29【2005/7/5】

常永寺 [jyoei-ji]
この寺の山上は、かって源頼朝が由比ガ浜に於ける千羽鶴の放鳥を遠望するために桟敷(展望台)を設けたところで、後に将軍宗尊親王の近臣、印東次郎左衛門尉祐信の妻、理縁尼がこの山麓に住んでいたので、桟敷の尼と言われていた。
文永8年(1271)9月12日、日蓮龍の口法難の折、この尼が日蓮に胡麻の餅を捧げたという。この故事により、通称「ぼたもち寺」と呼ばれている。
鎌倉市大町1-12-11【2005/5/5】

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