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薬王寺  岩船地蔵堂  円応寺  建長寺  半僧坊

薬王寺 [yakunoji]
大乗山薬王寺と号する日蓮宗のお寺で、永仁元年(1293)日像上人により開山された。日像は京都ではじめて日蓮宗を布教した人物だ。
境内には、徳川三代将軍家光の弟・駿河大納言忠長の供養塔がある。寛永年間忠長は粗暴な性格を理由に28歳で自刃をさせられ所領も没収された。忠長の妻(織田信長の二男・信雄の娘)が菩提を弔うために建てたという。
鎌倉市扇ヶ谷3-5-1【2005/7/16】

岩船地蔵堂 [iwafune-jizoudo]
亀ケ谷辻(扇ガ谷から亀ケ谷坂への分岐点)に建つこの堂は、古くから源頼朝の娘・大姫を供養する地蔵堂と伝えられてきた。
「北条九代記」に、許婚の源義高(源義仲の子)との中を裂かれた姫が傷心のうちに亡くなり、この哀れな姫を大勢の人々が悼んだ。大姫の守本尊を祀る。
鎌倉市扇ヶ谷3【2005/7/16】

円応寺 [ennouji]
新居山といい臨済宗のお寺。寺宝に本尊の閻魔大王などの十王像、奪衣婆、人頭枝、鬼卒などの木造像がある。

※拝観時間に間に合わす...再度挑戦します。
鎌倉市山ノ内1543【2005/7/10】

建長寺 [kenchou-ji]
建長寺は巨福山建長興国禅寺といい、鎌倉五山の第一位とされる臨済宗建長寺派の大本山。今から≒750年前の建長5年(1253)に後深草天皇の勅命で鎌倉幕府五代執権北條時頼が建立したわが国初の禅寺。
開山蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)は中国の高僧無明恵性(むみょうえしょう)に学び、寛元4年(1246)33歳のときに来日し、九州、京都を経た後、鎌倉に入り時頼に請われて建長寺に迎えられた。道隆は、中国宋時代の純粋で厳しい禅風をそのまま導入し、一時は千人を超える修行僧を指導したという。
創建当時の伽藍配置は、中国宋時代の禅林風を模したもので、総門・三門・仏殿・法堂などの主要な7つの建物がほぼ一直線に並び、49の塔頭(小寺院)を有する荘厳なものであった。その後、14、15世紀に起こった数度の火災で焼失。江戸時代に入り、沢庵和尚の進言などでようやく再建・復興し、主要な建物のほかに塔頭十余院を有する。

■総門・三門・仏殿・唐門・唐門前に咲く大輪の蓮
-上より-
鎌倉市山ノ内8【2005/7/10】

半僧坊 [hanzoubou]
建長寺境内奥の山の中腹に祀られる鎮守。明治23年(1890)に、当時の住職霄貫道(おおぞらかんどう)が静岡県奥山方広寺より勧請した。
さらに裏山は天園山ハイキングコースとなっており、展望台からの眺めが良い。
鎌倉市山ノ内【2005/7/10】

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