homeKamakura City 古都・鎌倉と周辺探訪
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長谷寺 光則寺 甘縄神明神社 高徳院(大仏) 御霊神社

長谷寺 [hasedera]
「海光山慈照院長谷寺」と号し、開創は聖武天皇の御世にあたる天平8年(736)、鎌倉でも有数の古刹である。開山は徳道上人。開基は藤原鎌足の孫・前房。
本尊の十一面観世音菩薩は、養老5年(721)に徳道上人の本願により、一本の楠の霊木から刻出された二体の観音像のうちの一つといわれ(残る一体は大和の長谷寺の本尊となる)、開眼供養の導師を務めた行基菩薩により衆生済度の願いが込められ海中に投じられたという。その後、相州長井浦に流れ着いた尊像は鎌倉に遷座され、長谷寺創建の礎となった。
18mあり、本邦でも最大級の木造観音。
鎌倉市長谷3-11-2【2005/6/5・2008/6/1】


※ご本尊は撮影禁止です。写真は由比ガ浜を見下ろす位置におられる千手観世音菩薩。アジサイが咲きはじめており、山が水色と紫色に染まっていました。


光則寺 [kosoku-ji]
行時山といい、日蓮宗のお寺で、もとは妙本寺の末寺であった。開基の光則は日蓮上人の「立正安国論」を北条時頼に差し出した人物。
本堂右の石段を上った山腹に、日蓮の龍の口法難に際し捕らえられた日郎上人の土牢がある。梅林と海棠が有名。
鎌倉市長谷3-9-7【2007/5/20】
甘縄神明神社
[amanawashinmei-jinjya]
御祭神は天照大神。
和銅年間(708-715)土地の豪族である染谷太郎時忠の創建。鎌倉最古の神社といわれる。永保元年(1081)源義家が社殿を再建。源頼朝や政子とう武家の崇敬が篤く、古来から伊勢別宮と尊稱されている。頼義は相模守として下向の節、当宮に祈願し、一子八幡太郎義家が生まれたと伝えられる。
鎌倉市長谷1-12-1【2007/5/20】
高徳院 [koutoku-in]
大仏像は700余年間の造立で、僧浄光が民間に資金を勧進した。
最初は木造で暦仁元年(1238)に着工し寛元元年(1243)に完成したが、宝治元年(1247)の大風で大仏も殿舎も破壊されたので、今度は青銅の大仏を鋳造せんとして建長4年(1252)に工を起こし数年で完成。総高(台座とも)13.35m・青銅仏身11.312m・重量121t。
『鎌倉や 御仏なれど釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立ちかな』<与謝野晶子>
この詠大好き(^O^)
鎌倉市長谷4【2005/6/5】
御霊神社(鎌倉権五郎神社)
[goryo-jinja]
創建は平安時代末期と推定され、当初は関東平氏の祖霊を奉っていたが、後鎌倉権五郎景政一柱となる。
祭神景政は桓武天皇の末裔、鎮守府将軍平忠道を祖父とし、父・鎌倉権守景成の代より鎌倉に住し、鎌倉覚武士団を率いる一方、現在の湘南地域一帯(戸塚・鎌倉・鵠沼・藤沢・茅ヶ崎)を開拓した開発の鎮守でもある。
鎌倉市長谷【2005/6/5】

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