上山城 kamiyama-castle 山形県上山市月岡公園

石落とし
防備施設のひとつであり、天守や櫓や塀の下部や隅角部に方形または横長長方形の張り出しを設け、石垣の真下を監視したり攻撃できるようにしてある。


別名 月岡城 築城年代 天文4年(1535)
縄張・種別 ---/平山城 築城者 武衛義忠
遺構 本丸跡に月岡神社・鐘櫓・土塁・石垣
復原 模擬=本丸下段に三重の天守・櫓門
国指定 ---
攻城年月日 2003/7/28


【歴   史】
室町時代応永年間(1394〜1427)最上氏の祖、奥州探題斯波兼頼の曾孫上山満長が、虚空蔵山に山城を築いたのが始まりで、「高楯城」「亀ケ岡城」ともいわれた。
永正11年(1514)と17年、上山義房が城主のときに伊達氏の攻撃を受けた。
天文4年(1535)、伊達氏から城を奪い返した武衛義忠(最上氏の一族)が天神森に新たに築城、上山城(月岡城_土地の名)と称す。
戦国時代、城は最上氏の領下に置かれ、伊達氏や上杉氏との領界にある城として、防衛の最前線拠点の役目を負う。
天亀・天正のころ(1570)伊達輝宗による度々の攻撃で、上山満兼から里見氏部へと城主が変わった。
その後も頻繁に城主が変わり、元和8年(1622)最上氏改易の後、松平重忠4万石の居城となり、寛永3年(1626)には蒲生忠知が入封。
早くも翌年山形城主鳥居氏、さらに翌年には土岐頼行が2万5千石で入城する。
土岐氏の時代に城郭や城下が最も整備され、内外に二重の堀をめぐらし、本丸には居館・三階櫓・隅櫓、下段には二の丸と北の丸を配し、東には桝形を伴なった大手門を構えていたという。
元禄5年(1692)土岐氏の転封で幕命により城郭は破却。
元禄10年(1697)松平信道が再興するが、城としては再建されず幕末を迎えた。

photo:シリウスさん


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