八戸城 hachinohe-castle 青森県八戸市内丸

弁慶石
この石のくぼみが、人間の足型にみえるところから、力自慢の弁慶が大石にしるした足型と伝えられる。

南部会館にに移築された「角御殿表門」/弁慶石(左列) 城址の碑(右列)


別名 --- 築城年代 ---
縄張・種別 ---/平城 築城者 南部利直
遺構 城門・土塁
復原 ---
国指定 ---
攻城年月日 2006/3/吉日


【構   え/歴   史】
馬渕・新井田両川の形成した沖積平野に突き出た洪積台地の先端部を利用して築城。
建武元年(1334)陸奥国司・北畠顕家の国代・南部師行が糠部郡八戸に根城を築いたが、その後間もないころに、孫の信助が築いた中館がここであろうと思われる。この一族は根城・中館・新田館に居住し、八戸地方を鎮めてきた。
戦国時代の末期には、三戸の南部信直が豊臣秀吉から朱印を受け、南部内7郡を支配した。その子・利直は、寛永4年(1627)に根城南部氏を遠野に移して八戸を直支配とし、自ら縄張をして城・城下の作事や普請を行なったといわれる。
盛岡城に移った重直(利直の子)が、寛文4年(1664)世継ぎを定めないまま病没したため、跡目をめぐり家中が二分する騒ぎが起こった。幕府は新たに弟・重信に盛岡8万石、同じく弟の南部直房に八戸2万石を与えた。この後、本格的な城や城下の整備がなされた。

photo:SPOOKさん


Back
Home