山口城 yamaguchi-castle 埼玉県所沢市山口



攻城年月日
2007/12/2


【構   え/歴   史】※案内板参照
平安時代末期から鎌倉・室町時代にこの一帯を本拠とした武蔵武士の山口氏によって築かれた。山口氏は平安末期に村山頼任の孫に当たる家継がこの地に移り住んで、地名の山口を名乗ったという。
この場所は北に椿峰の丘陵が迫り、南は柳瀬川と、湿地に囲まれた要害の地で、西側には鎌倉街道が通っていた。城跡の規模は、東西約400M、南北約200M、と推定される。
築かれたころの大きさは不明だが、戦乱の時代に館を取り囲む土塁や堀は徐々に広げられた。室町時代の終わりごろには、複数の郭がつながった姿となった。この城跡には石垣がないので、土塁の上に木や竹の柵を造り、幅が広く深い堀をめぐらせて敵の侵入を防いでいたようだ。山口高忠の代に城の大改修を行ったが、もともと館であったため別に勝楽寺村に根古屋城を築き拠点とした。
南北朝時代には河越氏、その後は武蔵国守護代大石氏、さらに後北条に仕えたが、1590年の小田原合戦で敗戦となる。

【攻城記】
郭が大型店舗とその駐車場になっています。城址の碑の周りには看板だの議員ポスターだの旗が立っていてやたらと賑やか。(笑
碑の後ろに見えるのが半分は失われていますが、こんもりした土盛になっている第1号土塁。右の写真は第2号土塁、沿うように西武狭山線が走っています。発掘調査では郭と堀もしっかり残っていたようなので、城址公園とかにしてほしかったような気もします。もったいないな。

photo:あられ


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