別名 |
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和田館 |
築城年代 |
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平安時代末期 |
縄張・種別 |
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---/平山城(丘城) |
築城者 |
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和田義盛 |
遺構 |
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復原 |
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国指定 |
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攻城年月日 |
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2004/10/16 |
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【歴 史】
和田義盛は鎌倉前期の武将で三浦義明(三浦一族の祖で源頼朝の家人)の孫で、父杉本義宗とともに鎌倉の杉本城を居城としていたが、16歳で父が亡くなるとこの地に城を築いた。
豊かな穀倉地帯で義盛は大いに潤いその基盤となる。
治承4(1180)源頼朝の挙兵に応じ活躍し、11月別当に補される。
頼朝の信任を得ていたが、北条氏勢力の確立を図る北条義時の政略により、建保1(1213)2月源頼家の遺児を擁して陰謀があったとして、義盛の甥の胤長らが捕らえられた。
そのため一族とともに義時を襲い奮戦したが、三浦義村の裏切りなどもあり、鎌倉由比ヶ浜に一族は全滅。
この戦を「和田合戦」という。
和田義盛の碑(写真)
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