館林城 tatebayashi-castle 群馬県館林市城町

土橋門は三の丸への通用門/三の丸土塁/本丸土塁/二の丸(左列)
三の丸の狭間のある塀/八幡曲輪跡に奉られた八幡宮/石組溝状遺構/城沼は城址の東側にある大きな沼(右列)


別名 尾曳城 築城年代 弘治2年(1556)
縄張・種別 ---/平城 築城者 赤井照康
遺構 曲輪跡・土塁・堀 etc
復原 復元=土橋門・石組溝状遺構
国指定 ---
攻城年月日 2004/8/17


【構   え】
「城沼」は自然の要害で東側の外堀とし、この沼に突き出した低台地で区切り、城の中心である本丸・二の丸・三の丸・八幡郭・南郭を配置、これを取り囲むように稲荷郭・外郭・惣曲輪を構え、さらにその西の台地に城下町を配し、すべてを土塁と堀で囲んでいた。

【歴   史】
文明3年(1471)城主の赤井文六・文三父子が上杉軍に攻められたとの記録が最も古い。
永禄5年(1562)上杉氏に攻略され、長尾氏が入城。
天正12年(1584)北条氏が略取。
同18年豊臣秀吉の小田原征伐で北条氏が滅びると、関東へ入封した徳川家康の四天王のひとり榊原康政が10万石で城主となり、江戸時代には利根川で東北地方を押さえる要所として重要な役目をになう。
その後、延宝8年(1680)には徳川5代将軍・徳川綱吉を輩出した。

photo:あられ


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