滝の城 taki-no-castle 埼玉県所沢市城

滝の城址
総面積≒87000u。
戦国時代には北条の支城として番衆を置き、”繋ぎの城”として重要な位置にあった。

二の丸と三の丸を結ぶ土橋(左上)
現在本丸跡は「城山神社」(右上)


別名 本郷城 築城年代 14後半-15世紀後半
縄張・種別 ---/平山城(崖上) 築城者 大石氏
遺構 曲輪跡・空掘・土塁
復原 ---
国指定 ---
攻城年月日 ---


【歴   史】
14世紀後半から15世紀前半にかけて、山内上杉氏の家臣であった大石氏が築城した。
大石氏は当時、武蔵国(埼玉県)の多摩・入間・高麗郡を支配していた。
天文15年(1546)、14代遠江守定久のとき、主君の上杉憲政が4月20日の河越夜戦で、小田原の北条氏康との戦いに敗れたので、定久は降伏し氏康の二男である氏照を養子に迎え家督を譲り、この後、北条の持城となった。
永禄7年〜天正5年(1564〜1577)、氏照の下野国(栃木県)出兵時には陣揃えが行われたという。
天正15年(1587)、氏照が八王子城に移ると、八王子と北関東を結ぶ重要な連絡拠点となる。
天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めで落城し、徳川家康の領土となり廃城となった。
北側に外堀、東北に大手、東側に城の名にゆかりの滝、西北に搦手と規模は小さいが要害堅固な城郭をなしていた。
水田跡(滝の城址公園)、本丸跡(25mの断崖上)、本丸を囲むように二の丸・三の丸・物見櫓跡、土塁や空掘が残る。

【資   料】
-滝の城址横穴古墳について-

昭和50年代、雨水のため南側の崖が中腹から崩れて穴があき、ここに7世紀ごろの横穴式古墳が発見された。
調査の結果、金環や硝子玉とうの遺物が出土が、現在は埋め戻されて土留工事が施されている。

photo:華帯畄さん


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