菖蒲城 shoubu-castle 埼玉県南埼玉郡菖蒲町

旗本内藤屋敷門(左) 菖蒲園に建つ碑(右)

旗本内藤屋敷門
江戸時代にこの地域一帯を治めていた、旗本内藤栢間(かやま)陣屋の裏門と伝えられる。
陣屋とは、旗本たちが領地に置いた屋敷兼役所のことで、内藤氏は≒1万坪の広さを有し、戸ヶ崎(菖蒲)・新堀・三箇・栢間・小林とうの各村、合せて5700石の領地であった。


別名 --- 築城年代 康正2年(1456)
縄張・種別 ---/平城(沼城) 築城者 金田式部則綱
遺構 移築=陣屋門
復原 ---
国指定 ---
攻城年月日 2003/8/31


【歴   史】
享徳3年(1454)に勃発した「享徳の乱」関東公方(足利成氏) Vs 関東管領(上杉氏)で、鎌倉を追われ翌年古河に座して「古河公方」と称した成氏が家臣の金田式部則綱に命じて築城させた。城の名は竣功が5月5日菖蒲の節句にあたったことからつけられた。
天正2年(1574)北条氏と上杉謙信との戦いの際、騎西城とともに焼き討ちされた。
徳川時代は、内藤氏が大身旗本として14代に亘り幕末まで領した。
4代四郎左衛門正成は重臣として数々の戦功を立て「徳川家康16神将」のひとりにあげられている。
明治以降、陣屋は廃止解体されたが、門は当時名主であった三須家に移築されいまに伝わった。

photo:あられ


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