別名 |
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築城年代 |
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元和年間(1615〜23) |
縄張・種別 |
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---/平城 |
築城者 |
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織田信雄 |
遺構 |
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曲輪跡・武家屋敷・石垣 |
復原 |
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国指定 |
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攻城年月日 |
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2003/12/23 |
【歴 史】
元和元年(1615)豊臣家滅亡後に布達された「禁中並武家諸法度制度」により、織田信長の二男・信雄が大和国宇陀郡3万石とこの上野国小幡2万石を領し、翌年信雄の子・信良が陣屋に入り織田家の小幡の支配がはじまった。
明和3年(1766)8代藩主の信邦のとき、藩政のことで内紛が勃発。幕府の知れるところとなり、小幡藩主名代や「柳子新論」で藩政を批判した山県大弐とう藩にかかわった者が多数処罰される事態(明和事件と呼ばれる)になった。
翌・明和4年信邦は蟄居、弟の信浮が養子に入り、出羽国高畠2万石で移封、織田氏の小幡統治は8代152年におよんだ。
同年・徳川親藩の若年寄職にある松平忠恒が入封。
嘉永3年(1850)3代・忠恵は長年幕府の要職を勤めた功で「城主格」を拝命、これ以後「小幡陣屋」は「小幡城」となる。
4代・忠恕のときに版籍奉還、小幡知事に就任した。
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