別名 |
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築城年代 |
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14世紀? |
縄張・種別 |
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単郭式/平山城 |
築城者 |
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遺構 |
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土塁・堀 |
復原 |
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国指定 |
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攻城年月日 |
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2004/1/12 |
【構 え/歴 史】
現在城山公園となっている低地に突き出た台地上にある。
城跡の東・西・北の三方は湿地に囲まれ、南側を底辺として三角形の囲郭(いかく)をなし、東西120m・南北110mの規模。
遺構は、内外2重の土手のような土塁で、土塁の間には水堀が掘られている。
また、城址の西南隅と内側の土塁の北側は広く高くなっているので、物見櫓のような施設があったと考えられる。
南側は大手口であったようで、土塁が1重確認されているが、かつては深い堀があったようだ。
城の居住者については、鎌倉時代に源頼朝に仕えた足立有馬允遠元、あるいは室町時代に岩槻の太田氏に仕えた石井丹後守とする説があるが定かではない。
近年の研究では14世紀に築城されたと推察できるという。
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