美尾屋十郎廣徳館跡 mioya-yakata 埼玉県比企郡川島町表 76

廣徳寺山門・美尾屋十郎廣徳館跡の図(左列)/大御堂・山門脇の空堀(右列)


攻城年月日
2005/8/8


【歴   史】
この地は土地の豪族である美尾屋氏の館跡。
美尾屋氏は、源義経の重臣・鈴木三郎重家が義経とその兄頼朝との仲が不和となり、奥州平泉へ逃れるため義経を慕って熊野を出て田木の吉田(現:東松山市)まできたとき、大雨により河川が氾濫し川を渡ることができずこの地に逗留。重家は子供連れで奥州へ行くのは困難と、友人の美尾屋十郎廣徳に一子を養子として託した。後3代まで美尾屋姓を名乗ったが、4代目から元の鈴木姓に改めたという。
広徳寺大御堂は鎌倉時代のはじめ、北条政子が美尾屋十郎廣徳の冥福を祈って、本堂及び坊舎とともに建立したと伝えられる。現在の大御堂は様式手法から、前代の建物の規模や形式を踏まえて室町時代後期に再建したものと思われる。...国指定=重文

「平家物語」”悪七兵衛景清のしころ引き”の逸話に美尾屋十郎廣徳の名が見られる。...屋島の合戦(那須与一の扇の的もこのときのお話)

photo:あられ


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