勝山城 katsuyama-castle 栃木県さくら市氏家勝山

本丸跡/堀切?(左列) 空堀にかかる木橋/移築された住宅(右列) ※写真の少女は華帯畄家の姫君

本丸
中世の勝山城本丸は深い堀と高い土塁をめぐらしており、これを囲む二の丸とは大小2つの木橋(大手口と搦手口)で結ばれていた。大手口には橋と共に堅固な大手門と北側土塁の張り出し部分に櫓台が設けられており、本丸に攻め込む敵に対して矢を射る横矢掛けの構造になっている。


別名 --- 築城年代 鎌倉-南北朝期(14世紀前)
縄張・種別 連郭式/平山城(丘城) 築城者 氏家氏
遺構 空掘・土塁 etc...
復原 ---
攻城年月日 2005/7/吉日


【歴   史】
鬼怒川を見下ろす断崖城として鎌倉時代末ごろに氏家氏(宇都宮氏から分かれた一族で氏家の地を支配した)により築かれ、その後慶長2年(1597)の廃城までおよそ300年の歴史を持つ。
氏家郡24郷支配の拠点で、宇都宮氏の配下として北辺を守る役割も果たす重要な場所であった。南北朝から戦国期を通じては、芳賀駿河守が城主となり、その間に改修工事が行なわれたようだ。

【攻城記】
今にも雨が落ちてきそうな曇り空でしたが、何とか無事探索してきました。
氏家へは宇都宮ICで降り、鬼怒川を渡った国道4号線沿いにあります。10年ぶりに訪れたので、周辺の都会化には驚きましたね。それでも一歩町を離れると、田園風景が広がるのどかな土地です。
本丸は当日も“草刈おじさん”が丁寧に作業している等、とても見学しやすくなっていました。
美術館は二の丸に建ち、『鬼子母』で有名な荒井寛方作品を中心とした展示です。ちゃんとこの地方の歴史も学べるようになっています。あの外観はお城にはミスマッチでしたが…(^^;)。

photo:華帯畄さん


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