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この遺構は天守閣ではない。吉田城には天守閣はなく、石垣にはこのような櫓が聳え立つ。これは大怪獣が帝都を襲った昭和二九年に開催された豊橋博の際に復興された三層櫓である。豊橋は手筒花火発祥の地として世界中に知られているが、毎年7月下旬頃に世界屈指の大花火祭である豊橋祇園祭が豊川河川敷にて開催される。夜空にきらめく美しい光菊と吉田城の櫓という顔ぶれは豪華そのものである。 |
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櫓の石垣である。吉田城址(現豊橋公園及び市役所)にはもはや当時の面影を残すものは少ない。明治以後城址には日本陸軍の駐屯地が設営され、豊橋公園内には歩兵第百十八連隊、歩兵二百二十九連隊、歩兵第十八連隊の各記念碑が今も残る。 |
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これは現豊橋公園からすぐの場所に立てられた公会堂です。吉田城址は陸軍駐屯地を経て現在は豊橋公園、公会堂、市役所、警察署、運動公園が並び、豊橋市の中心であります。 |
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これが豊橋公園の入り口です。とても市民公園とは思えない風情ですが、何を隠そうかっては帝国陸軍の駐屯地でした。これは当時の歩哨所です。 |
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豊橋公園内にはこのような連隊記念碑が随所に見られる。 |
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豊橋といえば精鋭・歩兵第十八連隊です。名古屋にて編成され、明治一九年に豊橋へ移駐しました。日清・日露・大東亜戦争の中国戦線で大活躍するも昭和一九年グアムにて玉砕されました。 |
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こちらは第百十八歩兵連隊の記念碑。第十八歩兵連隊も壮絶な激戦の結果サイパンにて玉砕されました。 |
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こちらは歩兵二百二十九連隊の記念碑。昭和十四年に編成され、中国戦線、ラバウルやニューギニア戦線で数多くの戦闘に参加した。ラバウルにて終戦、日章旗を奉焼しました。 |
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公園中央の美術館から一歩奥にはいったところには連隊記念碑とともにこのような像が。像がたつ台には苔が生え、もはや刻まれた文字を読むことができない。 |
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豊橋公園の一番奥にあるのが豊橋公園のシンボル吉田城の遺構。背後には豊川が流れる。 |