駿府城 sunpu-castle 静岡県静岡市追手町

二の丸東御門
慶長年間に築かれた駿府城二の丸の東に位置する主要な出入り口で、二の丸堀に架かる東御門橋と高麗門、櫓門、南および西の多門櫓で構成される桝形門。
二の丸巽櫓
寛永年間当時の姿を伝統木造工法によって再建したものある。 入母屋造りの木造本瓦葺き、外壁白漆喰仕上げの美しい造り。


別名 静岡城 築城年代 応永6年(1399)
縄張・種別 輪郭式/平城 築城者 今川秦範
遺構 石垣・堀
復原 復元=巽櫓・櫓門
国指定 ---
攻城年月日 ---


【歴   史】
正平6年(1351)初代今川範国の拠点とした。
応永6年(1399)4代今川秦範が正式に駿府入りをし、居館を作り濠や築地塀を厳重に二重にしたが、規模の小さいものであった。
長亨2年(1488)8代氏親が掛川城の朝比奈泰熙の弟秦以に命じ、駿府城を修築させた。
天正13年(1585)今川氏が滅びると、徳川家康は駿府城を修築させ、14年〜18年まで(以後江戸城へ)駿府城を居城とする。
慶長10年(1605)家康が将軍を秀忠に譲り、駿府に隠居した。翌年、城の拡張工事を始める。御殿の設計は小堀遠江守政一(小堀遠州)大工棟梁は中井正清、その当時の城を東、北、南の三方に拡張することに決め、越前、美濃、尾張、三河、遠江、丹波、備中、近江、伊勢、等の諸大名に、500石につき1名の割合で役夫を出させて、それぞれ区分を決めて工事をさせた。
”巽(たつみ)櫓”は、駿府城の二の丸の東南角に建てられた3層2重の隅櫓で、十二支であらわした巽(辰巳)の方角に位置する。二の丸西南の角に”坤(未申)櫓”を配し、これらの櫓は戦闘の拠点となり、望楼、敵への攻撃、武器の保管などの役目を持っていた。
寛永15年(1638)に再建された巽櫓は幕末の安政大地震によって全壊。全国の城の櫓建築でも例の少ないL字型の平面をもち、駿府城の櫓の中では最も高く、矩折三層ニ重入母屋造り、木造本瓦葺き、外壁白漆喰仕上げとして美しい外観であった。

photo:シリウスさん


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