別名 |
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清須城 |
築城年代 |
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応永12年(1405) |
縄張・種別 |
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---/平城 |
築城者 |
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斯波義重 |
遺構 |
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本丸土塁 |
復原 |
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復興=天守 |
国指定 |
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攻城年月日 |
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【歴 史】
応永12年(1405)尾張・遠江・越前の守護大名であった斯波義重(しばよししげ)が築城した。
文明年間(1469〜1486)に守護代織田敏定が居城とし、岩倉織田氏と対立。その後、斯波家の内乱に乗じて、家臣の末裔であった織田信秀(信長の父)が城主にのし上がる。
弘治元年(1555)信長が入り、桶狭間の合戦で今川義元を破り、天下取りに一歩先んじた。信長が小牧城に移ると、天正10年(1582)織田信雄が城主となった。
その後は、福島正則、松平忠吉、徳川義直と変わり、慶長17年(1612)名古屋築城後、廃城になる。
城跡は清洲公園となり、東海道本線が本丸の東側を通っているため二分されている。
天守は3重4階で「ふれあい郷土館」、御殿は「芸能文化館」となっている。
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