別名 |
|
叶城 |
築城年代 |
|
文安2年(1445) |
縄張・種別 |
|
---/平城 |
築城者 |
|
斎藤利永 |
遺構 |
|
本丸石垣・堀・土塁 |
復原 |
|
模擬=天守 |
国指定 |
|
--- |
攻城年月日 |
|
--- |
【歴 史】
文安2年(1445)斎藤利永が川手城の支城として築城。
その後、徳川家康は慶長6年3月6日娘婿の奥平信昌を加納城主として十万石を与え、また亀姫の粧田として二千石を給した。
築城は岐阜城落城の翌年で岐阜城の館邸を加納に移して修築した。
本丸、二の丸、三の丸、厩曲輪(うまやぐるわ)、南曲輪(大藪曲輪)などを備え、関が原戦後初の本格的城郭であった。
加納城歴代城主は、奥平氏の後、大久保氏、戸田氏、安藤氏と変還し、最後の永井氏の時代に明治維新を迎えた。
明治2年加納城第十六代城主永井肥前守尚服が版籍を奉還し、加納藩は同年7月4日に廃藩に至った。
加納城跡は、本丸の他は二の丸隅櫓の石垣をわずかに残している。
|
|