掛川城 kakegawa-castle |
静岡県掛川市城内 |
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三日月堀
丸い形の馬出しで、中世城郭では武田氏がよく用いた。
近世城郭では武田氏の影響に及んだ関東から中部地方にかけて、土塁積みの残す城で発達し、馬出しの外を囲む弧状の堀を三日月堀と呼ぶ。
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別名 |
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雲霧城 |
築城年代 |
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文明年間(1469〜85) |
縄張・種別 |
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---/平山城 |
築城者 |
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今川義忠 |
遺構 |
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天守台・太鼓櫓・二の丸御殿・石垣・堀 |
復原 |
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復元=天守 |
国指定 |
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攻城年月日 |
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【歴 史】
文明年間(1469〜1485)掛川は東海の東西交通の要衝として、駿河の今川義忠が家老朝比奈氏に命じ、天王山に城を築かせ遠州の押えとした。
永正年間(1504〜21)現在の場所に移る。
永禄11年、今川氏真は徳川軍に攻められ、駿府を捨てて掛川城へこもるもあえなく開城し、小田原へ落ち延びた。
天正18年(1590)、徳川の手に落ちた城だが、豊臣政権が確立されると、豊臣子飼いの大名である山内一豊が入封し、大規模な城郭修築を行い、天守閣、大手門の建設と共に城下町を整備した。
慶長5年(1600)、関ヶ原合戦で徳川軍に味方し勝利を得た山内氏は、この功により高知へ栄転となる。
その後、松平氏をはじめ、多くの親藩・譜代が在城。
延享3年(1746)には太田道灌の子孫太田氏の居城となった。
明治2年に廃城、城郭も多くの部分が壊された。
当時の建築物として掛川城御殿、太鼓櫓、大手門番所が城跡公園の中に現存している。
平成2年〜平成5年にかけて当時の様子そのままに日本初の本格木造により天守が復元。平成7年6月には大手門復元。
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phopo:シリウスさん |
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