岩殿城 iwadono-castle 山梨県大月市賑岡町岩殿

岩殿山・大岩は鏡岩(手前は中央自動車道)/山頂は標高634mでのろし台跡/空湟/南物見台より大月市を臨む(左列)
尾根の道/本丸跡は山頂は岩殿山無線中継所/馬場跡/麓を流れる桂川(右列)

本丸跡
三ヵ所にある物見台を統合した本陣で防衛や進攻の指令を発した。
空湟(からぼり)
本丸の東側から侵入する敵に備え、また日常の生活通路として利用した。
※実際に途中まで降ってみましたが、狭くて急な坂(というか道とはいえない)一歩足を踏み外すと滑落します。
馬場跡
城内で一番広い面積を有し、馬や兵士の訓練場とされ非常にそなえた。
※現在ある登山道の状態だと馬の歩行はおそらく困難...だと思う。


別名 岩殿山城 築城年代 ---
縄張・種別 ---/山城(中世の城) 築城者 武田氏
遺構 曲輪跡・のろし台・大手門跡・番所跡
復原 ---
国指定 ---
攻城年月日 2003/10/5


【構   え】
急峻にして険しい断崖をめぐらし、攻めにくく守りやすい戦国期(中世)の典型的な様式。
見るからに難攻不落の山城である。
南方の桂川下流には相模武蔵、西方の上流には谷村・吉田・駿河、北方の高野川上流には秩父山脈とうを一望におさめることができ、のろし台網の拠点として、近くの国々の情報を即座に収集できる重要な場所に築かれている。

【歴   史】
武田氏が烽火(のろし)台として築いた兵站基地の境目城。
小山田氏が城番となる。
天正10年(1582)織田軍の進攻により、武田氏滅亡とともに小山田氏も滅び、一時北条の持ち城となったが、甲斐(山梨県)が徳川領になると城番がおかれた。

photo:あられ


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