朝倉館跡に建つ松雲院唐門
朝倉義景の菩提を弔うために、館跡に建てられた松雲院の山門。豊臣秀吉の寄進といわれ、豊臣・朝倉両家の紋が刻まれている。江戸中期の再建と伝えられる。
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別名 |
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一乗谷館 |
築城年代 |
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文明3年(1471) |
縄張・種別 |
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---/山城 |
築城者 |
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朝倉敏景 |
遺構 |
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発掘=館跡・曲輪跡・堀切etc... |
復原 |
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復元=唐門 池泉庭園 |
国指定 |
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史跡 |
攻城年月日 |
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2006/7/29 |
【歴 史】
文明3年(1471)朝倉敏景が黒丸城から移り城館を建てた。なお、朝倉氏は南北朝時代からこの地を支配していたという。
朝倉氏は室町時代に越前守護斯波氏の被官で、甲斐氏や織田氏とともに三家老と称された。やがて孝景(戦国時代の孝景とは別人)が両氏を押さえ、氏景の時代に越前の国主となる。以後は貞景、孝景、義景と本拠地一乗谷を中心に全盛期を迎える。戦国時代には戦乱を逃れて京より貴族や守護大名が集まった。のちの室町幕府15代将軍足利義昭もこの地に逃れてきたひとりだ。
天正元年(1573)朝倉義景は織田信長に攻められ自刃したのち、平泉宗徒に焼き討ちされて消滅した。
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