岐阜城 gifu-castle 岐阜県岐阜市金華山頂

天守
一説に3層あるいは5層ともいわれる。
1943年復興天守が焼失、その後1956年に金華山ロープウェー開業の翌年完成した。3層4階建・高さ17.7mで設計者は城戸久氏。
金華山に残る石垣跡/天守より長良川と市街地を臨む(左列)
天守より東南方の各務原を臨む/千畳敷跡は麓にある信長の居城/長良川河畔から見る金華山と岐阜城(右列)



別名 金華山城・稲葉山城 築城年代 建仁元年(1201)
縄張・種別 ---/山城 築城者 二階堂行政
遺構 天守台・石垣・堀切・上格子門跡・千畳敷跡
復原 復元=隅櫓 模擬=天守
国指定 ---
攻城年月日 ---


【歴   史】
建仁元年(1201)鎌倉幕府の執事二階堂山城守が築城。
応永19年(1412)すでに廃城となっていたのを、美濃国の守護斎藤利永が修繕し、居城とする。
その後、斎藤氏が代々の城としたが、重臣の長井氏が城主となる。
享永3年(1431)斎藤利政(道三)が城主の長井長弘を暗殺して城主となり、大改修を敢行。
永禄10年(1567)織田信長が斎藤氏を追って、小牧山から入城し「稲葉山城」を、”周の文王岐山に起こりて天下を定む”の故事にならい「岐阜」とし、城も「岐阜城」と改称。
天正4年(1576)信長は嫡男信忠に城を譲り安土城に移る。
天正10年(1582)本能寺の変で信忠が二条城で殺されると、三男の信孝が城主となるが羽柴秀吉に攻め込まれ開城。
その後、池田元助、弟の輝政が入城。
天正18年に輝政が三河に移ると、秀吉の養子秀勝、織田秀信(信忠子の・三法師)が入城。
慶長5年(1600)関ヶ原合戦で秀信は西軍に属していたため、池田輝政、福島正則に攻められ落城した。
慶長7年(1602)廃城となった。

photo:シリウスさん


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