津城 tsu-castle 三重県津市丸之内

天守台
本丸跡の南西隅に位置し、東西7間(13.8m)・南北8間(15.8m)。
信兼の建てた5層の天守は、関ヶ原合戦で焼失、高虎は石垣を積み直したが天守を築かなかった。

3重隅櫓・丑寅櫓跡/藤堂高虎の銅像(下)


別名 安濃津(あのうつ)城 築城年代 元亀元年(1571)
縄張・種別 ---/平城 築城者 織田信兼
遺構 天守台・石垣・堀
復原 模擬=隅櫓
国指定 ---
攻城年月日 2002/10/9


【歴   史】
元亀元年(1571)織田信長の弟信兼(のぶかね)が安濃川と岩田川を天然の要塞にするべく、いち早くこの地に城を築く計画を立てた。
天正8年(1580)長島一向一揆・越前攻めとうの出兵で遅れたものの、5層の天守閣を中心に本丸・二の丸・三の丸が完成した。
織田家の家督争い後、豊臣秀吉に仕えるが、文禄の役で家禄を減らされ、津から他の地へ移封となった。
慶長5年(1600)信兼のあと城主になった富田知信の子信高は、関ヶ原の合戦で徳川方に味方をしたが激戦の末落城。信高は加増され転封。
すぐあと、築城名手の藤堂高虎が32万石の太守となって入封し、城の大改築を行った。
信兼の時代に建てた天守閣は、関ヶ原の合戦のときに焼失したが、高虎は石垣を積み直し天守台は築いたものの建てることはなかった。
伊勢神宮への参拝道を城下へ引き入れ津城の面目を一新したとゆう。
以後、藤堂氏が12代に亘り、263年在城。

photo:シリウスさん


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