別名 |
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東富松城 |
築城年代 |
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文明12年(1480)頃 |
縄張・種別 |
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---/平城 |
築城者 |
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薬師寺氏 |
遺構 |
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堀・土塁 |
復原 |
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国指定 |
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攻城年月日 |
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2003/12/5 |
【構 え/歴 史】
室町時代から戦国時代にかけて築かれた城。
広さは方一町(≒100m四方)。当時の城は、土塁・城柵・堀とうをめぐらし、その地方の有力者(土豪)らの居館として構えられていたと考えられる。
土塁は城の西側と北側一部にあたり、現在は樹木におおわれ、幅は11m、高さは≒4mである。
富松城は伊丹城と尼崎・大物城(旧城)との中間に位置し、また西国街道筋の西宮の越水城・瓦林城とともに境界防衛や連絡用の城として攻防の要となっていた。
戦国時代幾多の戦火にみまわれている。
昭和38年に当城の北を横切る県道工事中、戦国時代の瓦や礎石らしきものが確認された。
【攻城記】
城跡といっても何もない。どちらかというと古墳のようです。尼崎の道路沿いにあるのですがいわれなければ気づかないでしょう。
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