別名 |
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三熊城 |
築城年代 |
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大永6年(1526) |
縄張・種別 |
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---/平山城 |
築城者 |
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安宅治興 |
遺構 |
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石垣・門跡・石段etc... |
復原 |
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模擬=天守 |
国指定 |
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史跡 |
攻城年月日 |
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2018/4/吉日 |
【歴 史】
大永6年(1526)ごろ水軍三好氏の重臣であった安宅治興により築かれた。その後、三好長慶の弟で水軍の将として活躍する安宅冬康が入城。
三好氏の衰退、安宅氏の滅亡後、豊臣秀吉麾下の仙石秀久、ついで、脇坂安治が天正13年(1585)より24年間在城した。その間、大規模な改修工事を行うものの、脇坂氏の転封により廃城となった。
元和1(1615)、大坂の陣の功により、阿波の蜂須賀至鎮に与えられた。城代には主席家老の稲田氏が任じられる。
寛永8年(1631)三熊山の麓に居城を築き、城下町も整備された。
明治時代に城館は破却されるも、土塁や石垣とうが残されている。
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