二条城 nijou-castle 京都府京都市中京区二条通

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二の丸御殿/二の丸御殿の門/大手門
/本丸への虎口(左列)
天守台/隅櫓/本丸御殿(右列)

二の丸御殿
全国唯一の”城郭書院建築”で、雁行型といわれる平面構成は、唐門(伏見城から移築)、車寄、遠侍、式合、大広間、黒書院、白書院、清所、長屋からなり、近世書院づくりでは、最も豪華な桃山建築として残る。


別名 二条新御所 築城年代 永禄正12年(1568)
縄張・種別 ---/平城 築城者 織田信長
遺構 東大手門・北大手門・西門・隅櫓2・二の丸御殿・庭園・石垣・堀 etc
復原 ---
国指定 史跡 国宝=二の丸御殿各部6 重文=同各部8・隅櫓・土蔵 etc
攻城年月日 ---


【歴   史】
永禄正12年(1568)将軍足利義昭を奉じ、京都に入った織田信長が、近畿13ヶ国の諸侯に命じて京都二条に義昭の別邸を造らせたのが始まり。
天正10年(1582)本能寺で信長を倒した明智光秀に包囲され炎上。
慶長7年(1602)天下の実権を握った徳川家康が上洛の際の宿泊所として建設。
慶長16年(1602)豊臣秀頼との対面もここで行われた。
※名は同じだが信長の城と家康の城は歴史上別のものとして区別されている。
寛永3年(1626)後水尾天皇を迎えるために徳川家光が大修築を行った。この頃が二条城の最盛期であり、「二条城へ主上行幸の御あらましあれば城中殿閣構造あるべし、ことさら玉座は金銀の具用うべし」と当時の記述にあり、豪華を極めたようすがうかがえる。
慶応3年(1867)最後の徳川将軍慶喜が大政奉還を行った。

photo:荒賀源外さん


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