村岡陣屋 muraoka-jinya 兵庫県美方郡香美町

城址の碑(左) 陣屋跡の尾白山公園入口の門(上)


攻城年月日
2008/6/吉日


【歴   史】※案内の碑参照
村岡陣屋は、山名持豊(宗全)の後裔に当たる山名豊国(禅高)が、徳川家康から関ヶ原の戦功により、慶長6年(1601)に七美郡6700石を拝領、執事等を派遣した。兎束村(現福岡下中山)に領内仕置き機関を置いて、村岡山名を誕生させたことに由来する。
慶長19年(1614)に三代矩豊が当地に初入部、黒野村を村岡と改めて現資料館の付近に陣屋を設け、城下の町割りを行い村岡を本拠とし領地を治めて以来、陣屋町、宿場町として江戸時代に栄えた。
文化3年(1806)には、8代義方がこの地尾白山(現御殿山公園)の中腹に陣屋政庁を移し、大手門、中門、長屋、鎮守社、硝煙蔵、練兵場等を設けて山名氏の家格に相応した体裁を整えた。
慶応4年11代義済のとき、11000石となって立藩した。しかし明治4年には廃藩。村岡県となり、同6年の廃城令によって翌年陣屋や石垣等すべて取り除かれた。
幕藩時代270年の間、国替えもなく連綿と続いた。

photo:にゃごりんさん


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