別名 |
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四五百(yoiho)城 |
築城年代 |
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天正16年(1588) |
縄張・種別 |
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一二三段形式/平山城 |
築城者 |
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蒲生氏郷 |
遺構 |
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天守台・石垣・御城番屋敷 |
復原 |
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国指定 |
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攻城年月日 |
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2002/10/5 |
【歴 史】
天正16年(1588)名築城家でもある智将蒲生氏郷が、天正12年(1584)に日野6万石から伊勢松ヶ島12万石に移封されたとき、交通の便の良いこの地に城を築き松坂城と命名した。
都市計画に力を注ぎ、機能重視の町造りもしている。
同18年、小田原征伐の戦功により、氏郷は会津を拝領。
代って城主となった服部一忠は、文禄4年(1595)に関白秀次事件に連座して切腹。
同年、古田重勝が近江日野から入封し、元和5年には次当主の重治が石見浜田へ転封した。
のちは、徳川頼宣が紀州和歌山城入りしたのを機に、松坂も紀州藩の所領となり、城代が管理し陣屋として存続した。
城跡は「松阪公園」となっている。
隠居丸跡に、本居宣長の旧宅が移築されている。
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