観音寺城 kannonji-castle 滋賀県蒲生郡安土町観音寺山

堀切/本丸土塁/井戸跡(左列) 佐々木城碑/本丸虎口/淡路丸跡(右列)


別名 --- 築城年代 建武2年(1335)
縄張・種別 ---/山城 築城者 六角氏頼
遺構 空掘・石垣
復原 ---
国指定 ---
攻城年月日 2006/6/4


【構   え】
琵琶湖の湖東平野部に位置する標高433Mの繖山(kinugasa-yama)全域に築かれた日本で最大級の山城。
山頂の本丸をはじめ、平井丸、落合丸、池田丸とうとう曲輪跡に石垣が残り、全山の曲輪跡や家臣団の邸跡は総数100を超えるという。

【歴   史】
建武2年(1335)六角氏頼が奥州から攻め上ってきた南朝の北畠顕家を防ぐためにこの山上に籠もったのがはじまり。
応仁・文明の乱ととき、六角氏は西軍山名氏方で東軍細川氏方に味方した京極氏と争っている。野戦で不利になっては籠もっていたらしい。それでも南近江に確固たる勢力を張ることができた。
永禄11年(1568)ときの城主であった義賢・義治父子は、織田信長軍の箕作山城攻撃を目の前で見てその勢いを知ると甲賀の地へ逃亡した。以後、城は廃城となる。

【資   料】
六角氏の歴史は源平合戦で活躍した佐々木氏(宇多天皇の後裔・宇多源氏)に遡る。
平安時代、近江佐々木庄を本拠とする棟梁季定の嫡男として生まれた秀義は、清和源氏の惣領源為義の女婿となり、源頼朝の覇業を助けることとなった。鎌倉幕府創業の功により、秀義の子らは近江から中国・四国を中心に総計17ヶ国の守護(近江佐々木氏が宗家)となる。
南北朝時代に宗家の庶流に高氏=道誉(バサラ大名として有名)が登場。近江は嫡流の氏頼と道誉が並立して治めるようになった。氏頼系が「六角氏」・道誉系が「京極氏」。

photo:ばつまるさん


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