別名 |
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横山城 |
築城年代 |
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天正7年(1579) |
縄張・種別 |
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連結式/平山城 |
築城者 |
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明智光秀 |
遺構 |
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銅門脇番所・石垣 |
復原 |
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復元=大天守・小天守 |
国指定 |
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攻城年月日 |
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【歴 史】
天正7年(1579)天下制覇を織田信長の先鋒として、明智光秀が丹波国(京都)を平定し、功ににより横山城を改修して福知山城を建てた。
山崎の合戦、関ケ原の戦いとうで、杉原、田中、小野原、有馬、稲葉、松平と城主が激しく移動した。
寛文9年(1669)常陸国(茨城)土浦城主朽木植昌(くつきたねまさ)の入封以来、第12代為綱(もりつな)が明治を迎えるまで、200年に及び3万千石を領した。
天守は三層三階、初期望楼式に、二層二階の小天守を伴う連結式。
最上層は、南側の城外に面する窓が格子窓になっている。反対の城下町を見下ろす北側は、高欄(こうらん)を設けて開かれるとゆう、他の城にはない珍しい造りになっている。
この天守を支える石垣は、転用石とした墓石が419個もあり、突貫工事を思わせる。
内部は郷土資料館になっていて、城の絵図、模型とうで、本丸、二の丸、三の丸、伯耆(ほうき)丸とう、平城としての縄張りがよくわかる。
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