湯築城 yuzuki-castle 愛媛県松山市道後町帆町

内堀跡/武家屋敷跡(左列) 搦手門跡/本壇跡(右列)


別名 湯月城 築城年代 建武3年(1336)
縄張・種別 梯郭式/平山城 築城者 河野通治
遺構 曲輪跡・堀・土塁 etc...
復原 ---
国指定 史跡
攻城年月日 2012/吉日


【歴   史】
河野水軍は、源平合戦で功績をあげ、その名を天下に示した。以後、鎌倉幕府より厚く処遇され、伊予の守護に準ずる地位を与えられた。一族の多くは承久の乱(1221)で、後鳥羽上皇に与したため、一時は勢力衰退をみせたものの、弘安の役(1281)に際しては、果敢に蒙古船へ切り込み大いに武功を立てた。南北時代には北朝(足利方)に味方をしている。
河野氏は代々、河野郷(同市北条)を本拠にしていたが、このころ湯築城を築き居城とした。一時は南朝方に味方した一族(土居氏・忽那氏)に攻略されたが、奪還し伊予の南朝方駆逐した。功が認められ室町幕府から伊予守護職の地位を与えられる。
戦国時代、河野氏は強豪に取り囲まれる。また当主通直の疾患、跡継ぎをめぐるお家騒動で、力を落としていく。天正13年(1585)土佐(長宗我部氏)に降伏。帰属した。同年、城は小早川隆景率いる軍勢に包囲される。豊臣秀吉により、長宗我部氏追討の命が下されると、長宗我部勢の拠点として攻撃された。通直は最後の抵抗を試みるもかなわず、小早川隆景に城を明渡した。


memo
庭園に見立てた城山の岩肌や内堀がなかなか良い雰囲気を醸し出す風流な城跡。

photo:ばつまるさん


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