鳥取城 tottori-castle 鳥取県鳥取市東町

今回(08/6/吉日)の砂丘までの飛行中に鳥取城も撮りました。足軽隊でも空中からの城攻めは初めてかな?
<談:にゃごりんさん>

パラパラがご趣味のにゃご太郎@コケルどのにいただきました。これは解りやすい。
写真の中央部分に四角く見えるところが「山下ノ丸」。左上山頂が「山上ノ丸」。
2月に登山しようと行ったのですが、降雪後のため雪解けで登山道が川のようになっていたので断念しました。 結構きつい石段の登りなので地面が濡れて下山は危険なので止めて正解でした。乾燥していてもトレッキングシューズで登るのが懸命という状況の山です。<談:にゃごりんさん>
山頂への登リ口にある稲荷社/山上二の丸の石垣/山上天守門/山上天守跡U(左列)
車井戸=1602年池田長吉が城内大改築のときに掘った井戸と伝わる/山上二の丸/山上天守跡T/鬼門(右列)
石垣は二の丸桝形(左) 大手口から見た丸の内の水堀越しの久松山...標高263m(右)


別名 久松(きゅうしょう)城 築城年代 天文14年(1545)
縄張・種別 梯郭式/平山城 築城者 山名誠通
遺構 石垣・堀・土塀
復原 復興=二の丸中仕切門
国指定 史跡
攻城年月日 ---・2007/4/吉日・2008/6/吉日


【構   え】
天文年間に、久松山の自然地形を利用した山城として築かれた。山頂の山上ノ丸と麓の山下ノ丸とで構成される二城形式。
山上ノ丸は、山頂部を数段に切り開いて構築し、その中央部の一段高い場所に本丸がある。本丸には、天守櫓ほか、着見櫓、多聞櫓、それらをつなぐ走櫓とうがあり、御天守奉行が管理していた。

【歴   史】
天文14年(1545)、因幡国の守護大名であった山名誠通が、布施天神山城の出城として築き、家老の武田豊後守が城代となる。同17年、武田高信主家に反旗を翻す。
元亀3年(1572)山名豊国の反撃により高信敗走ののち、布施天神山城より本拠地を鳥取に移した。
天正8年、山陰に進攻した羽柴秀吉は、翌9年、12万の大軍で鳥取城を包囲して大々的な兵糧攻めを行った結果、世にゆう「鳥取城の渇(かつえ)殺し」で落城した。このとき豊国は主戦派の老臣たちに追放されていて、山陰随一の毛利家より派遣された吉川経家(つねいえ)が城兵を救うため切腹して果てた。これは可哀相だ!なんの罪もない派遣城主だよ...彼は...。(T_T)
慶長6年(1601)関ヶ原合戦後、姫路城主池田輝政の弟である長吉が入城。9年がかりの大改修で、山裾に二の丸・三の丸・天球丸を築造した。
池田氏の居城として明治維新に至る。

【攻城記】
登りつめれば眺めは最高、写真(右列4葉目)の背景は海と白っぽい部分は鳥取砂丘ですよ。 今日写真を取っていると、お城に詳しい方が話し掛けてきて築城の方向について教えてくれました。 鳥取城の天守もちゃんと乾の方向に向いて建っていて入り口は巽の方向になっている。 鬼門の艮(うしとら)の石垣にはちゃんときざみが入っている(鬼門−右列5葉目)。 おかげで歴史の知識がないコケルにも、その部分の写真が撮れました。

photo:にゃごりんさん・APWさん/下2葉


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