別名 |
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金川城 |
築城年代 |
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暦応2年(1339) |
縄張・種別 |
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---/山城 |
築城者 |
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松田元喬 |
遺構 |
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曲輪跡・石垣・土塁・井戸跡 |
復原 |
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国指定 |
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攻城年月日 |
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2003/12/9 |
【歴 史】
諸説あるが、後醍醐天皇の討幕に戦功のあった相模国(神奈川県)の松田元国が備前の地を賜り子・元喬が築いたという。
永禄11年(1568)隣接する有力者の浦上氏とたびたび激戦を繰り広げていたが、浦上方の宇喜多直家に攻められ、13代235年続いた松田氏は元輝のときに滅亡。
直家の舎弟である浮田春家(「宇喜多」の分家は「浮田」姓)が城主となる。
慶長5年の関ヶ原合戦で宇喜多秀家が改易になると、この地に小早川秀秋が入り城は廃された。
標高223m、臥竜山の頂に位置する。
【攻城記】
JR金川から徒歩10分程度で行ける交通の便の良さが魅力。
遊歩道も整備されていますが宣伝下手なのか城跡とあまり知られてない様で、本丸跡にある登山者ノートから推測するに週2.3人程度の登山者数しか無い様です。(健康のため毎日登ってる人もいる様ですが、そう言う人はノートに記載しないで
しょうね)
ここで圧巻なのは天守の井戸跡、幅3m深さ10mはあろうかと言う素掘りの井戸、見事です。
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