別名 |
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福原城(fukubara) |
築城年代 |
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永徳元年(1381) |
縄張・種別 |
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---/山城 |
築城者 |
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長井広世 |
遺構 |
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郭・空堀・石垣・井戸 etc... |
復原 |
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国指定 |
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攻城年月日 |
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2004/11/5 |
【構 え】
前面には江の川が流れ、標高316m・高比110mの半円球状の頂部に本丸とう12壇の曲輪を配し、西側井の壇に直径1.0m・深さ6mの石組みの井戸、東斜面には居館跡と伝えられる広大な平たん部があり、毛利元就の誕生地として石碑が建っている。
【歴 史】
永徳元年(1381)毛利元春の5男広世は長井氏を相続して6代当主となり、父元春から安芸国中部庄福原村を譲られて、鈴尾城(福原城)に移り住み、姓を福原と改めた。
8代広俊の娘は毛利弘元の妻となり、長男興元が誕生し、二男元就は明応6年(1497)3月14日に母の里であるこの城で誕生したという。
天文5年(1540)の郡山合戦(尼子晴久
vs 毛利元就)では広俊が守備にあたり西に備えた。
慶長5年(1600)13代広俊は毛利輝元に従って防長に移ったが、この間7代219年にわたり福原氏の居城であった。
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