別名 |
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築城年代 |
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平安初期?(1395以前) |
縄張・種別 |
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---/平山城 |
築城者 |
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越智(のちの河野)喜多守 |
遺構 |
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本丸の土塁 |
復原 |
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国指定 |
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攻城年月日 |
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2002/7/4 |
【歴 史】
龍王台地からは、多くの石器、土器類が出土するので、早くから開発されてきたと考えられる。
この台地に越智(のちの河野)喜多守が平安初期にはじめて砦を築き、7代目の益躬(ますみ)に至る間居城していたとの伝承がある。
室町時代には久保因幡守源高実が居城し五十崎郷11ヶ村地頭職として、この地方を治めていたという。
天正の初めには城戸直宗が居城したが、曽根宣高が土佐の長宗我部氏の援助を受けてこれを攻略した。そこで直宗は河野氏の兵によってこの城を奪還したるも天正5年(1577)7月14日夜再び宣高の猛功を受け落城した。
宣高は客将の河内駿河守吉行を城代としてこの地域を統治させた。
天正13年(1585)豊臣秀吉の四国征伐にあい曽根城主の宣高は、征討軍の小早川隆景に降伏したので龍王城もついに廃城となった。
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